函南からゲルゼンキルヒェンへ〜世界に羽ばたいた右サイドバック〜
2006年のドイツW杯で敗退し、中田英寿は29歳で現役引退を決意した。それに次ぐような衝撃だったろうか。先週、日本サッカー界は内田篤人の引退発表の話題に終始した。
童顔で若くは見えるが、ウッチーももう32歳。サッカー選手としてはいつ引退してもおかしくない年齢ではある。
とはいえ、キングカズは別格にしても、中村俊輔にしろ遠藤保仁にしろ、あるいは小野伸二にしろ、日本サッカー界の歴史に残るであろう上の世代のスター選手たちは未だに現役を続けている。
学年が一つ上の本田圭佑や岡崎慎司、長友佑都は海外でもうひと花咲かせようと奮闘している。
そんな状況を鑑みると、膝の大怪我があったにせよ、まだまだウッチーもできるだろうと多くのファンが思っていたはずだ。もう一度、代表のユニホームを着て右サイドを駆け上がる姿を見たいと。
でも、それは叶わぬ話だった。右膝に巻かれた分厚いテーピングは、素人目にも限界を感じさせた。以前と同じようなプレーを求めることなんてできっこなかったのだ。
SNSを通じて多くの元チームメイトらがすぐさま引退を惜しむ声を挙げた。その事実が、どれだけ愛されたプレーヤーだったかを物語っている。
サッカー王国と呼ばれる静岡で育ったが、エリート街道を歩んだわけではない。
地元の中学を経て、高校は当時、辛うじて強豪校の地位にとどまっていた清水東高に進学。温泉地として有名な熱海の隣にある小さな町、函南町から片道1時間半を掛けて通学した。
もちろん、それなりの才能は持ち合わせていたのだろう。だが、本質的には努力家といって良い。全国大会とも無縁だった。それでも、百戦錬磨のスカウトはその素質を見抜いた。
高校卒業後に鹿島アントラーズへ入団すると、ルーキーイヤーから即レギュラーを獲得。瞬く間に注目を集める。2年後には代表デビューを飾り、2010年にはブンデスリーガ1部のシャルケ04に移籍。初年度はチャンピオンリーグでベスト4進出を果たした。
世界を知るサイドバックと言って良いだろう。だから、世界と日本の差について引退会見で述べた「正直広がったなと思う」との一言には重みがあった。
中田英寿が世界への扉を開いてから23年。欧州のクラブチームに移籍する日の丸フットボーラーは間違いなく増えた。それは事実だ。
だが、そのうちのどれだけが主要クラブに身を置き、レギュラーの座を勝ち取っているのか。中田や香川真司のような地位を築いた選手がどれだけいるのか。最強リバプールの一員となった南野拓実にしても、まだまだサブの域を出ない。
「そんなに甘くないよ」と先人は引退会見で述べた。後に続く者たちへの厳しくも温かいエールだろう。
稀代の右サイドバックのように、いや、そのキャリアを軽々と飛び超え、レアルマドリーやリバプール、バイエルンミュンヘンでレギュラーとして活躍する若き日本人選手の出現に期待したい。