永遠のインヴィンシブルズ

 インヴィンシブルズ(The Invincibles)と聞いてフットボールファンが思い浮かべるのは、2003-04シーズンにプレミアリーグを無敗で制したアーセン・ヴェンゲルアーセナルだろう。

 

 26勝12分0敗、勝ち点90で2位チェルシーに11ポイント差をつけた。シーズン最多勝ち点は2017-18シーズンのマンチェスター・シティが打ち立てた100に及ばないが、強さのインパクトは引けを取らないし、むしろ上回っているのではないか。

 

 アンリ、ベルカンプの時に縦に並ぶ最強2トップ。ピッチの中央でゲームを支配するヴィエラジウベルト・シウバとのコンビは絶妙だった。左右からはピレスとリュングベリが容赦のない仕掛けを繰り返し、その後ろからはアシュリー・コールとローレン・メイヤーが援護射撃する。キャンベルとトゥレはまさに鉄壁だった。

 

 レーマンは?な部分もあったが、まあ言うほど悪くはなかったのかもしれない。ドイツ代表にも選ばれていたし。控えにも、ヴィルトールやカヌなどリズムを変えられる良いアクセントが揃っていた。

 

 あれ以来、気づけば16年間もリーグ優勝から遠ざかっている我がガナーズ。あ、言い忘れていましたが、筆者はGoonerなのです!当時は高校生。光陰矢のごとしですなあ。

南野拓実とヤング・リーズ

 8月29日のFAコミュニティ・シールド、対アーセナル戦で待望の初ゴールを決め、9月5日のブラックプール戦でも連続ゴールを奪った南野拓実

 

 何やら、今シーズンは覚醒の予感が漂う。プレミア最強トリデンテであるスリリング3を前に置き、いかに連動しながら自分の持ち味を出せるかがポイントになる。

 

 プレミア開幕は12日のホーム、リーズ・ユナイテッド戦。このカード、プレミアで観るのは何年ぶりだろう。

 

 リオ・ファーディナンドハリー・キューウェル、マーク・ヴィドゥカ、ロビー・キーンアラン・スミスロビー・ファウラー…。00年前後のチームは若く、勢いがあり、波になると手を付けられなかった。反面、ムラがあるのもまた事実だったが、そこがまた魅力でもあった。

 

 血の気が多い選手が揃っていた。ダニー・ミルズやリー・ボウヤーが典型。一方で、バランサーとしてバッケ、オリビエ・ダクールが気を利かせていた。

 

 一時は3部まで落ちたが、17シーズンぶりにプレミアに戻って来る。ヤング・リーズの輝きを取り戻せるか。

 

 

 

 

 

 

函南からゲルゼンキルヒェンへ〜世界に羽ばたいた右サイドバック〜

 2006年のドイツW杯で敗退し、中田英寿は29歳で現役引退を決意した。それに次ぐような衝撃だったろうか。先週、日本サッカー界は内田篤人の引退発表の話題に終始した。

 

 童顔で若くは見えるが、ウッチーももう32歳。サッカー選手としてはいつ引退してもおかしくない年齢ではある。

 

 とはいえ、キングカズは別格にしても、中村俊輔にしろ遠藤保仁にしろ、あるいは小野伸二にしろ、日本サッカー界の歴史に残るであろう上の世代のスター選手たちは未だに現役を続けている。

 

 学年が一つ上の本田圭佑岡崎慎司長友佑都は海外でもうひと花咲かせようと奮闘している。

 

 そんな状況を鑑みると、膝の大怪我があったにせよ、まだまだウッチーもできるだろうと多くのファンが思っていたはずだ。もう一度、代表のユニホームを着て右サイドを駆け上がる姿を見たいと。

 

 でも、それは叶わぬ話だった。右膝に巻かれた分厚いテーピングは、素人目にも限界を感じさせた。以前と同じようなプレーを求めることなんてできっこなかったのだ。

 

 SNSを通じて多くの元チームメイトらがすぐさま引退を惜しむ声を挙げた。その事実が、どれだけ愛されたプレーヤーだったかを物語っている。

 

 サッカー王国と呼ばれる静岡で育ったが、エリート街道を歩んだわけではない。

 

 地元の中学を経て、高校は当時、辛うじて強豪校の地位にとどまっていた清水東高に進学。温泉地として有名な熱海の隣にある小さな町、函南町から片道1時間半を掛けて通学した。

 

 もちろん、それなりの才能は持ち合わせていたのだろう。だが、本質的には努力家といって良い。全国大会とも無縁だった。それでも、百戦錬磨のスカウトはその素質を見抜いた。

 

 高校卒業後に鹿島アントラーズへ入団すると、ルーキーイヤーから即レギュラーを獲得。瞬く間に注目を集める。2年後には代表デビューを飾り、2010年にはブンデスリーガ1部のシャルケ04に移籍。初年度はチャンピオンリーグでベスト4進出を果たした。

 

 世界を知るサイドバックと言って良いだろう。だから、世界と日本の差について引退会見で述べた「正直広がったなと思う」との一言には重みがあった。

 

 中田英寿が世界への扉を開いてから23年。欧州のクラブチームに移籍する日の丸フットボーラーは間違いなく増えた。それは事実だ。

 

 だが、そのうちのどれだけが主要クラブに身を置き、レギュラーの座を勝ち取っているのか。中田や香川真司のような地位を築いた選手がどれだけいるのか。最強リバプールの一員となった南野拓実にしても、まだまだサブの域を出ない。

 

 「そんなに甘くないよ」と先人は引退会見で述べた。後に続く者たちへの厳しくも温かいエールだろう。

 

 稀代の右サイドバックのように、いや、そのキャリアを軽々と飛び超え、レアルマドリーリバプールバイエルンミュンヘンでレギュラーとして活躍する若き日本人選手の出現に期待したい。

 

 

 

 

 

スヴェン・ゴラン・エリクソンでおじゃーる

 当時、ラツィオの監督だったエリクソンセリエAダイジェストでは、なぜか一人称が「麿」だったんだよなあ。

 

 シェフチェンコエジムンドも印象に残っているけど、やっぱり一番はエリクソン。語尾には「おじゃる」で完全にお公家さんキャラ。

 

 マルカトーレ青嶋の勝手極まりないアテレコが懐かしい。

 

 今ならどんな風になるのか。シメオネは組長キャラとして、クロップは?ランパードは?

 

 ミハイロビッチは現役時代と同じ荒くれ者キャラを踏襲するのかな…なんて考え出したらキリがない。

 

 復活を希望します!

⚽️ブログタイトルのおはなし⚽️

 「サッカー小僧10」ってなに??

 

 筆者(30代)と同年代か上の世代であれば、「あれか!」と懐かしく思った方もいることでしょう。そのとおり、「あれ」です。

 

 ご存知ない方のために説明しましょう。「サッカー小僧」は、かつてフジテレビ系列で放送されていたサッカー情報番組です。Wikipediaによると、正確には1997年から2005年まで放送されていたようです。

 

 とはいっても、通年ではなく、欧州サッカーがオフシーズンの約3カ月間だけの限定番組でした。シーズン中は「セリエAダイジェスト」という番組が放送されていたのですね(実質的には「サッカー小僧」と同一番組)。

 

 筆者が初めて見たのは、小学校高学年だったと思います。深夜の放送枠だったので、ビデオ録画しておき、翌日に学校から帰っておやつを食べながら見ていた記憶があります。

 

 で、なぜ後ろに数字が付いているのかというと、これは放送シーズンを表していました。どうやら、最後は「9」だったようなので、本ブログは勝手に「10」を頂いちゃいました(笑)著作権があるのかわかりませんが、あったときのため、念のため「非公式」とうたっています。

 

 ということで、次回は大好きだった「サッカー小僧」と「セリエAダイジェスト」の思い出を書きたいのでおじゃーる。

 

 マルカトーレ!

 

なぜ書くのか(フィリッポ&シモーネ)

別に読者を求めてないけど

ここに書ーいてるーと思い出す

僕のフィーリッポ&シモーネーのその兄弟のせいだよー

トゥールトゥットゥトゥットゥットゥ〜♫

インザーギ兄弟さん、ネタに使ってすみません。深い意味はなく、単なる語感です)

 

筆者にとって、1990年代〜00年代前半にかけての欧州フットボールは特別なものです。当時は下手くそなサッカー小僧として憧れを抱き、今は幸せな記憶です。

 

カズオ・イシグロが、彼の中にある日本の記憶を無くさないよう小説を書き始めたように(ノーベル賞作家を例に出すことすらおこがましいのだけれど)、ブログという仕組みを使って幸せな記憶を書き溜めておきたいーーそんな思いから、筆者はブログを始めることにしました。

 

当時のフットボールはもちもん、それだけではなく、最近感じたことも含めて雑駁にいろいろ書いていこうと思います。

 

他者の視線を意識した方が、自分の考えや文章が整うかなと思い、一般公開することにしました(閲覧して頂く方がいるとも思えませんが)。温かく見守ってください。